2017年 01月 04日

飴を買って

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父に会うのは 約半年ぶりだった。


自宅を出発して高速道路に入る前にJR東室蘭駅の売店に立ち寄り
トッカリショの岸壁に見立てた『トッカリショ岸壁飴』を土産に買った。

トッカリショ海岸は、少年時代の父が毎日泳ぎにでかけたという思い出の地。
認知症になってからも父は、トッカリショと室蘭中学の話だけは
繰り返し繰り返し、というより、父の記憶には最早ほぼそれだけしかなく

だから駅の売店でトッカリショの飴を見た時から
「父に会いに行く日にはこれを持って行こう」と決めていたのだ。



月に一度の割で、衣類やら身の回りの物品、
預け金の補充などで父の居るホームを訪ねてはいたが
面会に関しては少し様子をみましょうという職員さんのアドバイスもあり
いつも1階エレベータの前で
職員さんから父の近況を教えてもらっていた。


父のことを思わぬ日はなく
「今、どうしているかなぁ」と絶えず考えるのだが
職員さんがとても丁寧に様子を知らせてくださっているので
日々の暮らしに関しての不安はなかった。



昨年夏に母が完全ダウンから入院となって、急きょ、
父を特養のショートステイにあずけた当初は
帰宅願望がハンパではなく猛烈で
職員さんも父への対応にとても苦労されていた。
夜、警備の方が席を外したすきにでも、玄関から出てしまわないだろうか
非常階段の扉をまた開けているのではないか、等々、
(実際に、ギリギリ阻止というのは何度もあったようだが)
携帯の着信音が鳴るたびに自分の心臓の音が耳から漏れるのではとすら思えた。


そんな知らせが続いていたものだから、
そのさなかに家族が訪ねて顔を見せれば当然
父の「帰る」モードはMAXになるであろうことは誰しもがわかっていたから
ひたすらに、父がその環境に馴染むことを願うしかなかった。


二週間のショートステイから環境が変わり、
職員さんの目が届きやすい暮らしへ移行してからは
いわゆるパニック的な行動には至らなくなったようだが
それでも朝な夕な、帰りたい旨の発言が続いていた。



父と再会できる日、というのは
だから「父が帰りたいと言わなくなった」変化が認められる
すなわち「認知症が進んだこと」を意味するものでもある。

仕方がないこと、しかしそれをわかることも切ない。
ともあれ、季節は進み、父は次第にゆるやかに、
帰りたいとは言わなくなってきたそうだ。




「年明けには、会っても大丈夫でしょう」と
12月の訪問時に担当の職員さんから告げられ
1月2日に再度、新年のご挨拶と、確認のための電話を入れる。

1階ではなく、直接、父の居る4階フロアまで上がってもOK、とのことで
毎月職員さんから送っていただいていた写真__ホームで過ごす父__を
初めて自分の目で見ることとなった。


エレベータから降りて、父の居るフロアで
〈男性のシルエット〉を探す。
おばあちゃんばかりのフロアで、おじいちゃんは父だけと聞いていたから
さすがに間違えることはないだろう。


ソファに座る後姿は、まぎれもなく父のそれだった。
テレビを見ているものか、うつむいているものか
背後からはよくわからなかったが、
先ずはフロアの職員さんに挨拶をして
促されて父のもとへ近づいた。


やはり父は、もう私のことはわからない様子だった。
「ミカコだよ」と名前を伝えても、ちょっと困った様子で
でも職員さんが明るく父に話しかけてくれることで
その場がとても救われた。



しみじみ、思う。
このお仕事に就き、働く方達は、すごい。
家族には、到底できないこと
家族だから、それゆえの感情が絡んでできないこと、
というのもあるかもしれないのだが
仕事だから、割り切ってできる、
ということでもあるのかもしれないが

プロだから、できる。
だから、プロなのか。


いずれにしても、例えばスキンシップのさりげなさ、声かけ、
タイミング、ありとあらゆるその、ひとつひとつ。
有難く、温かく、ぶれのない動きだった。




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今年もまた、色んな「想定外」が押し寄せるのだろうなぁ。

それでも、去年の自分、拙い経験をバネにして
周りの方々に助けていただきながら、

失敗しながらへこたれながらも、

そんなこんなを笑い話にかえてゆきたい。





by Okamekikurin | 2017-01-04 11:12 | ツブヤキ | Comments(8)
Commented by ポンママ at 2017-01-04 11:56 x
おつかれさまでした。なんか涙がでちゃいました。
どうなんだろ・・その時って。考えない日ってないですよね。母のケアマンションでインフルエンザがはやってるとのことでお正月は面会者ご遠慮だったのでまだ年明け会ってないのです。母は単に風邪だったそうで元気になったと。うちもこの頃はそこが自分の居場所と・・「帰りたい」気持ちはなくなったよう。帰るところないのに言われたら切なかったもの。「年とるってことは寂しい」と母は言います。我慢してるのだろうか。諦め・・かな。親思うと切ないですね。
お父様と会えてよかったです。またこれからは行けますね。
Commented by ベチ at 2017-01-04 21:38 x
父の姿を探す・・・
お父さんのお気持ちも、ご家族のお気持ちもくんで下さる・・・優しいですね。 切ないですね。
温かな写真ですね。
Commented by Okamekikurin at 2017-01-04 23:23
★ポンママさん★
この世とお別れのとき、願わくば「ピンピンコロリ」といきたいものだと思うけれど...
なかなかそううまくはいかないのが生身の身体なのでしょうねぇ...
病というのは、色んなカタチであらわれてくる。
認知症というのも、本当に不思議なものだなと父の繰り返しエンドレスの話や
直前の記憶が残らない状態でのコミュニケーションの難しさ、などなど
向き合いながら考えさせられます。
いつかは、わが身かもしれないし...

来月以降もまた、父に面会できるかなと思っていますが
自分が帰るときの「タイミング」が難しいです(笑)
職員さんに協力してもらいながら、父の視界からフェードアウト、って感じです(;^ω^)

インフルエンザ、流行っていますよね。
ポンママさんも、ご帰宅されたらうがい手洗い、お忘れなく、ネ。
Commented by Okamekikurin at 2017-01-04 23:27
★ベチさん★
ベチさん、今年もどうぞ宜しくお願いいたしますね~m(__)m

父がもう私(娘)のことをわからないだろうなぁ...ということは
予想していたのでさほどショックではありませんでした。
それよりも、父が穏やかな表情をしていたのでホッとしました。
職員の方達が、日々、温かく接してくださっているのだなぁと
父が安心しきってソファに腰掛けている姿を見たときに思いました。

父が家に居た頃は、私が行くたびに室蘭中学の校歌を必ず(笑)聴かされて
それも何度も何度も歌ってくれるものだから結構うんざりだったのですが
なんと、今回、私が初めて聴く曲を歌ってくれました。
記憶の不思議。娘のことを覚えていないのに、どっから出てきた???その歌!(;^ω^)
来月、行くのが楽しみです。また違う歌を聴けるかも(笑)

Commented by kei at 2017-01-05 10:25 x
色々、、大変ですね。
でも、特養に入れたのは良かったですね。

親の問題、認知症じゃなくても
ちょっ気重です。
我々もいい年なのでこれからの人生を考えるに
雪の降らない地方へ移住したいと思っても
両親を放っていくわけにもいきませんし
先が見えません。

BARUなど、毎日のように早く死なないかな~と
親不孝なことを言っています。
というのも、それだけ重く気にしてるってことです。
年を取るってなかなか大変ですよね。
Commented by Okamekikurin at 2017-01-05 13:46
★keiさん★
上手に、誰のお世話にもならずにあの世に行けるというのが
人生最大の課題なのかもしれませんね(笑)

父が今の家を建てた時だって確実に今よりずーっと若かったわけだから
高齢者になってからのことをリアルには想定しなかったと思うのですが
玄関の階段ひとつとっても、高齢になるとややもすると凶器になるのだなぁって...
母の動作を見ながら思います。(冬は、ホント、ハラハラです)

室蘭に居ると、ママさんダンプの出番がないです。
ママさんダンプ、ベランダで干からびてます( ;∀;)
空知暮らしが長かったせいか、いまだにそういう冬に慣れません(笑)

Commented at 2017-01-05 18:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Okamekikurin at 2017-01-06 06:20
★鍵コメさま★
いつも有難うございますm(__)m
「なんでも ど~~んと来いっ」ってどっかり構えられるくらいになりたいけれど...
現実は、オロオロうろうろ右往左往にクヨクヨ、の繰り返しです(笑)

それに、ズバリ、「お金もかかる」(←これは重要)

ブログもやめようかと随分思い続けているけれど
こうして思いを書ける場所、というのもキープしておく方がよいのかな、って思ったりも(;^ω^)

冬道、なかなか手ごわいですからお出かけの際にはどうぞくれぐれもお気をつけてネ(^_-)-☆



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