2017年 02月 27日 ( 1 )


2017年 02月 27日

丸井さんの「とうまん」


札幌市内に地下鉄もまだ通っていなかった、昭和40年代 前半の頃
たまに「街へ買い物に」出かける母の交通手段は もっぱら中央バスだった。

母が大通方面に出向く一番の目的は、
「カナリヤ」で洋服を作る生地を買い求めるためだった、と思われる。
デパートにも足を運んでいたとは思うが、何せ我が家は相当に貧乏だったので
高価なものは暮らしの中に何ひとつ見当たらなかった。


祖母に遊んでもらいながら、家で母の帰りを待つ。
母の帰りを待つことは、同時に「お土産を待つ」ことでもあった。
“近所の南郷市場”ではない、「街へ」行った母が、
今日は何をお土産に買ってきてくれるのだろう。
ちっぽけな想像の引き出しをパンパンに膨らませながら
それはもう、ワクワクそわそわしたものだ。



ある日、街から戻った母から手渡された土産は
赤いプラスチックの縁取りがついた手鏡だった。
姉と私にお揃いで買う、その小さな手鏡二つだって、
当時の母にしたら悩んだ末の痛い出費であったはず。


が、しかし。
幼い私にとって、赤い手鏡はまるで嬉しくない品物だった。
何故、もっと可愛いものを、もっと大きなものを、
母は 姉と自分のために買ってきてくれなかったのか。
待ちくたびれた寂しさも手伝って、私はその場で大泣きしてしまった。

泣いたら何故だか余計に感情の大波にまみれて悲しくなって、
なんと私はその傍にあった「もうひとつのお土産」の上に
どんと尻もちをつき、繰り返しお尻をぶつけながら潰してしまったのだ。


丸井さん(※丸井今井デパート)の包装紙に包まれた、
その中身が「とうまん」であることを、私はよく解っていた。
あの頃、街のお土産の定番は(我が家では)
ダントツ、「とうまん」だったのだ。
家族皆が、こよなく愛する「丸井さんのとうまん」。
それを、尻もちで潰すことがどれだけ母を悲しませるか
知っていたからなお、母に〈手鏡ショックの八つ当たり〉をしたかった。


あの時、母がどんな表情で愚かな娘の姿を受け止めていたものか
母の様子はまるで記憶に残っていない。
ただただ、自分がとんでもないことをやらかしたという
罪悪感、恐怖感、そういったネガティブ感覚が全身を支配して
更にわんわんと泣き続けてしまったのだった。




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去年の夏、認知症の父の介護疲れによる鬱病で入院した母が
自宅に戻って少しだけ元気を取り戻しつつあった頃
食卓のテーブルでお茶菓子を食べながらふと
「そんなこと、あったんだけどさぁ。お母さん覚えてる?」と
遠い昔の“とうまんエピソード”のことを母に話してみた。


「ええっ? ぜーんぜん覚えてないわ~」と母が笑う。


(いやそもそも、先日の入院中の記憶も、母は全然なくなってるよね)
...という言葉は勿論くちには出さず、
かろうじて笑いあえるそのひとときが、ただただ有難いと感じていた。



『とうまん』。

デパ地下には色鮮やかなスイーツが溢れかえるこの時代にも
丸井さんのとうまんは根強い人気を、今なお保ちつづける。


「丸井さんのとうまんが食べたいなぁ」
何かの拍子に、無性にその衝動にかられるとき私は
大泣きしたあの日の、幼き心のどん底的悲しさ、
小さな茶の間と小さな書斎にはさまれた
窓のない部屋 _ 家族四人の寝室兼 子供の遊び部屋 _ の薄暗さを
旧い映画の僅かなシーンのように思い出す。


もうそれは、手さぐりのおぼろげな断片の記憶でしかないのだけれど。




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【とうまん】(※以下説明文は、「北海道人」サイトより転載させていただきました。)

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はちみつ風味の生地に白あんを入れ、専用の機械で焼き上げる「とうまん」は、
昭和27年に丸井今井デパートで最初に売り出された。
店頭で、ぐるぐる回る機械で作る様子が見られることから、子どもたちに大評判となった。
2号店は、昭和33年に札幌ステーションデパート(現・札幌駅南口地下街アピア)に開店。
カステラのような生地はふわりとやわらかで、ほんのり甘く、誰にでも好まれる味わい。






by Okamekikurin | 2017-02-27 18:05 | ツブヤキ | Comments(10)